LOGIN「陽さん?」 自分を突き通して見えない何かを見つめる橋本の面持ちは、得も言われぬ儚さが漂っていて、抱きしめたい衝動に駆られた。「自分の不甲斐なさとか、ましゃきを守ってやれなかったこととか、江藤ちんと何回ヤったのかなんてさ!」「はあ?」 語尾にいくに従い、目力を強めながらきっぱりと言いきった橋本の言葉を聞いて、腑に落ちないという感じに首をかしげた。「陽さんすみません。逃げきったあとに車まで辿り着いて、現場から連れ去ると俺は豪語したのに、それができなかった無念があるので、冒頭と真ん中の意味については理解したのですが、最後のモノだけ、どうしても意味が分かりません」 疑問に感じたことを、自分なりに分かりやすいようにまとめて告げた途端に、橋本は勢いよく起き上がり、ベッドの上にあぐらをかいた。「何で分かんないんら、ましゃき」 地の底から響くような低くて挑みかかる声に、ひゅっと躰が竦んでしまった。まるで、地獄の番人に声をかけられた気分に陥った。「何で分からないんだと聞かれても……」「ノンケだったお前を江藤ちんはたぶらかし、こっちの道に引きずり込んだんだよな?」「へっ!? 俺って、たぶらかされたの?」「ましゃきのフェラがうまいのも、江藤ちんのピーを何度もしゃぶったからなんだろ!」「陽さん?」 橋本の言葉に反論したいのに、今は何を言っても無駄な気がした。泥酔状態の思考に、まともな判断力があるとは思えない。もしかして、わけの分からない今だから――。(――酔っぱらっているからこそ、陽さんは普段は言えないことを、こうして俺にぶつけているのかもしれない) 内なる腹立たしさを表すような荒っぽい口調なのに、表情はどことなく悲しげな感じに宮本の目に映った。「……ましゃきに、早く出逢いたかった」 ベッドの脇にしゃがみ、膝の上に置いてる両手を固く握りしめた橋本に近づいて、無言のまま左手を掴んで、優しく両手で包み込む。 いろんな感情がない混ぜになってるせいか、橋本の左手はとても冷たかった。それをあたためるように撫でさすり、視線を合わせた。 それが合図になったように、掠れた声で橋本が口火を切る。「江藤ちんよりも先にましゃきと出逢って、恋に落ちたかった」「はい……」(陽さん、こんなふうに思っていたなんて。江藤ちんにヤキモチ妬きすぎだって言ったら、贅沢を言うなっ
無事に帰ることができたお祝いをするために、次の日の仕事終わりに走り屋のリーダーをしている友人が経営している焼き鳥屋へ、橋本と飲みに行った。 残念ながら翌日も仕事がある宮本は、安定のソフトドリンクで乾杯。橋本はわざわざ有給をとったとのことで、中ジョッキの生ビールで乾杯した。 よく食べよく飲みよく喋り――互いの無事を確かめ合うように、楽しいひとときを過ごした。あまりに楽しかったのか、橋本の飲みっぷりがいつも以上だったこともあり、べろんべろんに酔っぱらっていた。 泥酔状態で歩けなくなった橋本を、仕方なく(いや、むしろ喜んで)宮本が背負って自宅に連れ帰ったのだった。「陽さん大丈夫ですか? 気分は悪くないですか?」 前にも似たようなことがあったのを思い出しながら、ベッドに横たえさせて話しかけると、目が覚めたらしい橋本はニッコリ微笑む。「らいじょうぶら。ましゃきが優しくしてくれたかりゃ、全然平気」 呂律が回らない橋本の様子に、嫌な予感のクラクションが宮本の脳内で鳴った。良い予感は大抵外れるのに、悪い予感というものは不思議と当たる確率が高い。「陽さんってば相当酔ってるみたいですから、お水を飲んだほうがいいかもしれませんね……」 それを踏まえて、橋本に注意を促してみた。冷たい水を飲んで、少しでもいいから酔いを覚ましてほしかったのに――。「飲むならお前の(自主規制)が飲みたい」「そっ、それは俺の躰の準備というか、この場の状況がそんな雰囲気じゃないのでごめんなさい!」(ひーっ! 酔っ払った陽さんのエロモードが全開すぎて、対処に困っちゃうよ)「なんで無理なんら。俺のことが嫌いなのか?」「嫌いじゃないです。むしろ大好きですよ」「俺もましゃきが好き、愛してりゅ」 ベッドの上に横たわる橋本が、自分の中に溢れ出る愛情を示すような笑みを浮かべて、嬉しそうに告げた。目尻に浮かぶ笑い皺が、橋本の持つ愛らしさを一層引き立てているように見えるせいで、胸が無償にドキドキする。 そこはかとなく淫靡な雰囲気になりつつあるのを、交わし合った告白でひしひしと感じ、どうにも身の置き場がなくて、宮本は視線を右往左往させるしかなかった。「雅輝、なぁまだ?」「はい?」 落ち着きのない宮本になされた疑問に、彷徨わせていた視線を橋本に注いだ。「俺の股間は、準備OKなんだぞ」「やっ
「理由なんてそんなの、わざわざヤクザとお知り合いになんて、普通はなりたくないだろ」 笹川の問いかけに宮本は傾げていた首を元に戻し、抱きしめている橋本を見つめる。「たまたま、陽さんのお父さんがヤクザだった。ご兄弟もその道の人だということですよね。俺は別にかまわないです」「雅輝、怖くないのか? 俺が笹川さんと逢うだけで、すげぇ怖がっていただろ」(顔を青くして、思いっきり怯えていたというのに――)「ハッキリ言って怖いです。でも陽さんは陽さんだから。もし何かあったら、一緒に逃げればいいかなって」 逃げると言った宮本を、笹川は眉間に深いしわを作って声をかける。「逃げるだと?」 その顔は何を言ってるんだという疑問と軽蔑が入り混じったものに、橋本の目に映った。「はい。危ないなって思ったら、陽さんを連れて車で逃げます。どんなオンボロ車でも、絶対に逃げきれる自信はありますので」「ぷぷっ、アハハハ!」 宮本としては恋人を守るために、格好よく宣言したのかもしれない。だが詳しい事情を知らない笹川の態度と、熱くなっている宮本の温度差が両極端すぎて、どうしても笑わずにはいられなかった。「雅輝、車がなかったらどうするんだよ?」「むぅ。とにかく車がある場所まで逃げる」 無茶ぶりな提案に、笑いが込みあげてきた。自分の考えを躊躇いなく言ってのけるところが宮本らしくて、愛おしさに拍車がかかる。「それって俺が単独で戦ってる間に、お前が何とかして車を確保したのちに現場に乗りつけて、一緒に逃げるとでも言いたいのか?」「そんな感じになるかもです」「橋本さん、何を寝ぼけたことを言ってるんだ」「俺が好きになった男は、言ったことを必ずやってのけるヤツなんです。だからこそ、全力で頑張らなきゃいけない」 涙が溜まるくらいに笑いすぎた橋本を見ながら、今度は笹川が首を傾げた。「ドラマや映画じゃあるまいし、都合よく段取りができるとは思えないけどなぁ」 他にも何か文句を言い続ける言葉を無視して、意を決したような面持ちの宮本と見つめ合った。「陽さんが俺を守ると言うなら、俺も陽さんを絶対に守ります」「雅輝……」「はいはい、美しい愛情を確かめ合ってるところ悪いが、この状況をどうやって引っくり返すんだぁ?」 口調に合わせて二度手拍子した笹川の声で、躰に絡んでいた両腕を互いに離し、その場
笹川に太刀打ちできないことくらい嫌というほど分かっていたが、手を出さずにはいられなかった。 顔面に向かって、ジャブの連続を浴びせる。しかし打ち込んだすべての拳を易々と受け止められた挙句に、疎かになっていた足元を掬われ、前のめりの状態で派手にすっ転んだ。「陽さんっ!」 しかも土下座に似た形で転んだため、目の前の無様な姿をどんな気持ちで宮本が見ているだろうか。そのことを考えただけで、悔しくてならなかった。(ちくしょう、俺は好きな男すら守れないのか――) 下唇を噛みしめながら起き上がろうとした瞬間に、笹川の足が横っ面を踏みつけて、橋本を動けないように固定する。「やめてください。貴方の言うことを聞きますからこれ以上、陽さんに手を出さないでくださいっ」「やれやれ。相手が追い込まれた状況ゆえに、そろって冷静な判断ができなくなっているなぁ」 笹川は踏みつける足の力を緩めることなく、見下すような冷笑を唇に湛えながら胸の前で両腕を組む。 下から見上げた偉ぶるその態度を目の当たりにして、怒りが沸々と湧き上がってきた。「クソっ、足を退けやがれ」「狂犬の龍己の血を受け継ぐだけあって、威勢よく吠えまくるのなぁ。そういう男は嫌いじゃないぜ、潰し応えがあるから」「狂犬の龍己?」 笹川が告げたセリフに反応した宮本が、疑問に思った言葉を口にした。それにより自分の身の上を、この場で明かさなければならないことを悟り、目の前が真っ暗になる。「あれ? もしかして恋人に言ってないのか? 橋本さんチのこと」「…………」 踏みつける橋本の顔を笹川はわざわざ腰を曲げて覗き込み、いたずら好きの子供がするような、意地悪な笑みを浮かべる。「その顔は言ってないというよりも、言えなかったというべきか。なるほどな」 サッカーボールを軽く蹴飛ばす感じで橋本の頭を解放し、音をたてずに後方に下がる。そんな笹川をやっという感じで、うつ伏せのまま見上げた。 これまでのやり取りで、怒った橋本を牽制するために笹川は距離を取ったのかもしれない。しかしながらいろんなことがショックすぎて反論はおろか、すぐに立ち上がることすらできなかった。「この場で恋人が俺とヤるくらいに、自分チが嫌なことのひとつらしいなぁ。俺の口から言ってもいいけど、橋本さんからゲロするか?」「自分の口から言えたら、とっくの昔に言って
頬に受けた切り傷の痛みと、頭突きからくるふらつきで顔を歪ませる橋本とは対照的な、余裕のありすぎる笹川の様子はムカつくものだった。その余裕から油断しないか、血まなこになって隙を探る。「さぁて、ふらつく足取りで橋本さんがどこまで逃げられるか、追いかけっこしようや」 笹川は握りしめていた両拳を緩めて、手のひらが見えるように開く。「何をするつもりなんだ?」 ノーガードを表す格好に、橋本の眉の間に自然と皺が刻まれた。「握力自慢をしようかと思ってなぁ。日々トレーニングするのにハンドグリッパーを使っているんだが、アメリカの製品ですげぇのがあるんだ。世界で5人しか使いこなすことのできないグリッパーを、最近閉じれるようになったんだぜ」「世界で5人……」 橋本の額から、つーっと汗が滴り落ちた。見えない恐怖で歯がガチガチ鳴りそうになり、奥歯をぐっと噛んでそれをやり過ごす。「何でも、握力が166キロないと使えないグリッパーらしい。ちなみにネット通販で売ってる。三千円もしない商品なんだけど、橋本さんも使ってみるか?」(確か成人男性の握力の平均って、45キロ前後だった記憶がある。コイツぁ化け物か――)「殴られるよりも、アンタに握られたほうが痛そうだ」「背筋と握力は、年を取っても筋力が落ちない部分だからなぁ。毎日鍛えて向上させて、落ちたところのフォローで使わないと」 笹川が瞳をすっと細めた瞬間に腰を落とし、低い体勢のまま突進してきた。まっすぐ自分に向かってくるのを想定して左に逃げたが、笹川の左手がその動きを塞ぐように伸びてくる。「チッ!」 舌打ちしながら素早く後退したのに硬いものが踵に当たる衝撃で、そこに柱があることを察知した。 動きを封じられる前にしゃがみ込み、笹川の脇を抜ける勢いで飛び出す。背後から手が伸びてくる気配を感じつつ、できるだけ距離を取ろうと駆け出した。(ああ、クソっ! 出口が反対側なんてツイてねぇ)「橋本さんってば、足元がふらつきながらも、見た目以上にすばしっこいのな。それだけ足腰を鍛えていたら、さぞかしアッチでもいい感じで使えるんだろ?」 捕まえられなかった両手を見つめて投げつけられる笹川の質問に煩わしさを感じ、眉間に皺を寄せてみせた。「そんなくだらないことを訊ねるくらいなら、さっさとそこを通してくれないか。ハイヤーに乗りっぱなしで疲れ
***(ああ言って雅輝に助けを求めたが、5分以内に戻ることを前提に行動しなければ。まずは笹川さんに逢ったらこの手帳を押しつけながら適当にあしらって、さっさと逃げるが勝ちだろう) 古ビルの扉を開けて突き当りを右に曲がりながら、そんなことをぼんやりと考えた。「よぉ!」「くっ!?」 人の気配がなかったところから話しかけられたため、躰をぎゅっと竦ませて反応した橋本を、笹川は口元に微笑を湛えながら見下ろした。「時間ピッタリで登場してくれたことに感謝すべきなんだろうが、いやはや残念」「……何がですか?」 思いっきり訝しむ橋本に、満面の笑みで微笑みかける笹川が不気味すぎて怖かった。「1秒でも遅れたら、難癖つけてやろうと思っていたのになぁ」「たとえ遅れなかったとしても、あれこれ難癖つけるくせに」 言いながら、目の前に黒い手帳を差し出した。笹川はすぐさまそれを受け取り、しげしげと眺める。「何だろうなぁ。預けたときよりも、なぜだか綺麗になってるのは気のせいか?」「気のせいだろ。用事は済んだから、帰らせてもらうぞ」(――俺からの預かり物を大事にした雅輝が、丹精込めて毎日磨いていたに違いない……) 長居は無用と言わんばかりに踵を返した瞬間、躰を叩かれる衝撃を受けた。叩かれたというよりは背中の中央辺りを殴られた感じに近いそれに、橋本の足元がぐらりとふらつく。 何をするんだと文句を言う前に、頬の横を拳が掠めていった。慌てて躰をのけ反らせて攻撃を避けつつ、素早く背後に退いて距離をとる。「いい反射神経してるなぁ。そのファイティングポーズは、ボクシング経験者といったところだろ。戦う意思があると思っていい感じか?」 橋本を見据えながら同じように拳を顔顎の前近くに置き、脇を締めて目線を前に向けるポージングをとった笹川に、嫌な感じを覚えた。「……アンタもボクシング経験者なのか?」 次の攻撃をいつ受けてもいいように下半身に重心を落として、笹川の顔を睨みながら警戒した。すると顎近くにある右拳にキスをするという、余裕がある素振りを見せる。「こんな職業なんでね、ボクシングだけじゃない。攻撃系の武道やスポーツに関して、ひと通りこなしていると言ったら分かりやすいだろう?」「そりゃどうも!」「相手の手の内が分かったら、他のものは封印して合わせる。これが俺の流儀だ」「ちょ